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KAYANOのイタリア気分 No.7

2002年7月号

シチリアの思い出の街 エーリチェ

エーリチェからの眺め

10年前、料理の勉強ばかり(つまり食べてばかり)でシチリア料理は詳しくても、観光地にうとかった私がエーリチェを訪れたのは偶然のことだった。

島の西側の地域と言えば「マルサラワイン」で有名なマルサラと「マグロ漁と塩作り」で有名なトラッパニに興味があった私。(昔から食ベ物の事しか考えていない人だった。)友人と二人で、マルサラワインのカンティーナ(醸造家)を飛び込みで見学した。よほど東洋人が珍しかったのか、貧弱なイタリア語での熱心なワインの質問が嬉しかったのか、そこの御主人が私達をいたく気に入ってくれた。

トラッパニの塩田

お別れの挨拶をして、宿泊地トラッパニまで戻るため、1時間に1本の電車を待っていると、さっきのカンティーナの御主人が車でやって来て、どうしてもマルサラと並んでこの地域自慢の「トラッパニの塩田」と「山の上の街エーリチェ」を見せたいと言う。素性も知れているし、かなり立派なおじさま(おじさまと言っても40代でジョバンニさんという名前でした。)だったので、シチリア男性の情熱にほだされて、私達はお言葉に甘えることにした。 塩田の中を車を走らせていた時の感動は今も忘れる事が出来ない。

雪の様に白い塩の山と、水切りのための茶色の瓦が積み上げられた山が交互に並び、 ところどころの白い風車が異国情緒を感じさせてくれる。塩造りは、古代に伝えられた伝統を守りながら現代も続いていると言うのだから、感慨もひとしおだった。

グレーの街。人影もまばら...

トラッパニの街を抜けて山を登り、着いたのが2500年前に古代フィニキア人が築いた街エーリチェだった。グレーの石でできたモノトーンの街は、まるでタイムスリップしたように人もまばらで車もほとんどなく静まり返っていた。通りには小さいお土産屋さんが並んでいる。観光地化されたどこかの街のように、呼び込みもないし、怪しい日本語の看板もない。 街の一番高い所にヴェヌス城の跡があり、そこからの眺めはとにかくすばらしかった。それまでトスカーナのサンジミニアーノとか、ウンブリアのアッシジとか眺めの良い街は何度か訪れたが、海に向って迫り出すようにそびえたつ街は初めてだった。海岸に沿って、さっきドライブした塩田や梺のトラッパニの街や遠くマルサラの街も見渡せる。晴れた日にはアフリカ大陸のチュニジアが見えるそうだ。その日はシロッコで霧がかかっていたせいか、アフリカまでは見えなかったが、目の前にいくつかの島が見えた。マグロ漁で知られるエガーディ諸島だった。有名な「ラ マッタンツァ」と言われる追い込み漁は5月-6月が最盛期で季節は違っていたが、私達は次の日この中の一つの島ファビアーナ島に渡る事にした。この事はまたいつかお話をするとして、とにかくエーリチェは私が気に入っているシチリアの街のひとつだ。

食文化が見渡せる丘

はたおり機

この街を訪れた時、必ず買い求める物は手工芸品の織物だ。お店の入り口の鮮やかな色に誘われて入ったお店では、おばあさんが機織機の前でカッタンコットンと織物をしていて、娘さんが接客してくれた。

昔から、冬は寒くて閉ざされてしまうこの街 の冬の女性の仕事だったそうだ。

初めはテーブルセンター、次ぎは小物入れ、そして今回はベッドサイドの敷物を買っ た。いつも必ずこのおばあさんのお店で.....。今は80歳は越えただろうこのおばあさんは今回も御健在だった。街を訪れた回数だけおばあさんの作品がたまって行く。羊毛で織った風合いと色鮮やかな幾何学模様がとても気に入っている。

とかく忙しさに流されそうな日々、時々、織物を眺めてはシチリアの食文化が見渡せる丘や、10年前から、いいえ2000年以上前から続くエーリチェの静けさ、そしてこの素敵な街に案内してくれたジョバンニおじさんや表情を変えずに織物に集中していたおばあさんの横顔を思いだす。

魅力的なシチリア島に思いを馳せながら.....。

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