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KAYANOのイタリア気分 No.43

2005年7月号

摩天楼かイタリアンカラーに輝いた夜

ニューヨーク マンハッタン島:南イタリアからも多くの人が移民した。

ニューヨーク マンハッタンの南に浮かぶエリス島。

1892年~1954年まで、ここには移民局が設置されていた。世界中から自由の国を求めてアメリカへ入国すべく、大勢の人々がまずはこの島に着いた。

特に南イタリアは貧しさ故の移民をたくさん出したことは周知の事実。

チコ シモーネ氏はタオルミーナの街を毎日5kmジョギングを欠かさなかった。

その移民の物語りとして、アメリカとシチリアを舞台にした映画「ゴットファーザー」。パート2では少年時代のドンコルレオーネが入国審査を受けるシーンが印象的だ。お馴染みのニノ ロータ作曲のテーマ曲。その物悲しいメロディーからは、故郷を捨てアメリカへ渡ったシチリア人の郷愁が伝わってくるようだ。

実はこの曲、チコ シモーネ氏がシチリア民謡にヒントを得た原曲をニノ ロータに提供したという逸話がある。生前、彼の得意な曲のひとつでもあった。ピアノで弾き終ると皆に銃を向ける仕草をして笑いを誘った。

そしてチコの両親もアメリカ移民の経験を持っている。二人はアメリカで出逢い恋をして、故郷のタオルミーナに戻ったのだった。

そんな両親から生まれたチコ。

彼とアメリカとの関係もとても深い。若くしてアメリカへ渡り、40代で故郷に戻るまでニューヨークを拠点に演奏活動をしていた。1930年頃ビックバンドを率いてアメリカ中をツアーしたこともあった。

階段を駆け登るため、いざ!エンパイアステイトビルへ

彼の第二の故郷とも言えるニューヨーク。

そこに決まって毎年2月、彼は里帰りをした。街のシンボルのエンパイアステイトビルの階段を駆け登る競技に出場するためだった。

階段の数1,576段。生涯彼は合計18回このビルを駆け登っている。

当然のごとく今年も参加している。世界15カ国から139名が参加し、チコの記録は49分28秒で最下位ではあったが、それが亡くなる2ヶ月前だというのだからすごい。

実は、チコ シモーネ氏は音楽家であると同時に、死ぬまで現役のアスリートだった。健康を保つため毎日5キロのジョギングは入院の前日まで続けられた。「タオルミーナジョギングクラブ」を主催していたのも彼だった。16-17歳の時に2年連続でシチリア島の水泳大会で優勝したのを手始めに、若い時はボストンマラソンなど数々のマラソン大会に参加。70歳で足を悪くし、いつも右足を引きずっていたが、それでも南アフリカで行われた競歩の選手権で優勝し、トライアスロン大会で何度も完走した。そして76歳からこのエンパイアステートビルの階段上りでは常連だった。

映画の中でエンパイアによじ登ったキングコングと記念写真

私は2度ニューヨークに滞在し、その2度ともエンパイアステートビルを訪れている。当然のようにエレベーターで数秒で登った。それでもビルの上から見下ろす摩天楼は素晴らしかった。

ニューヨークはイタリアとは別なエネルギーをもらえる街だ。まして自分の足で階段を駆け上がって臨んだ摩天楼は、彼に何を話し掛けたのだろう。

エンパイアは1920年代の好景気に建設が始まり、1929年の世界恐慌を乗り越えて1931年に完成した。地上102階、381メートルのこのビルは、移民達にとってアメリカンドリームの象徴だった。そしてシモ-ネ家にとっても特別の思い入れがあった事は間違いない。マンハッタンから臨むエリス島を見る度に、チコは両親へと思いを馳せたのだろうか。

イタリア国旗に輝くエンパイアステイトビル

チコ シモーネ氏が神に召されて数日たった4月18日。

エンパイアーステートビルが彼のためにライティングをした。

イタリア国旗の色(赤・白・緑)に....。

摩天楼がイタリアンカラーに輝いた夜だった。

第二の故郷のアメリカが、音楽家として、そしてアスリートとしての彼の人生を静かに讃えたひとときだった。その様子を彼は空の上から微笑んで見ていてくれたかしら?その傍らには御両親もいらしたかも...。

"Papa Chico non dimentichero mai la sua vita stupenda con le nostre bellissime memorie ! Grazie di cuore !"

(パパチコ あなたの素晴らしい人生を、たくさんの思い出と共に忘れる事はないでしょう!本当にありがとう!)

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