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KAYANOのイタリア気分 No.32

2004年8月号

Ti piace pizza napoletana! 君はピッツァナポレターナが好きだネェ~!

フィレンツェの大聖堂

フィレンツェでしばらく一人暮しをしていたのは90年の春のこと。

友人から又貸しのワンルームの部屋には朝と夕暮れに鐘の和音が響き、窓から大聖堂のクーポラが見えた。まさに憧れのイタリア生活を実現させてくれた本当に素敵な部屋だった。フェレンツェに行く度にVia ricasoli にあるその建物の前に立つと、「私のイタリア生活はここで始まったんだ~!」っと懐かしさで一杯になる。 けれども、その部屋にはテレビさえ無く、音の出る物と言ったら小さなラジオのみだった。

そのラジオから流れるテンポの良いイタリア語は、意味が分からずとも耳に心地よかった。それで覚えたフレーズもいくつかある。 「Ti piace pizza napoletana! (君はピッツァ ナポレターナが好きだネェ~!)」というのもその一つ....。陽気な口調で音楽に乗って頻繁に流れていたから、今思えばピッツェリアか粉メーカーのコマーシャルだったに違いない。

「ナポリはピッツァが有名なのは知っているけれど、イタリアではピッツァのことをピッツァ ナポレターナって呼ぶんだ!日本ではスパゲッティーナポリタンの方が有名だけどね。」なんて自分で勝手に思い込んでいた。そして、ある日、それをイタリア人の友人に話したことがあった。「スパゲッティーナポリタン?」友人は何を言っているのかわからない様子だった。

その後、ピッツァがどれだけナポリと関係が深いか知るにつれて「ピッツァ ナポレターナ」はイタリア人にとって本物のピッツァの代名詞だと言う事が分かってきた。さらに、スパゲッティーナポリタンはアメリカ人が作ったもので、イタリアには存在しないことも後で知った。イタリア人の友人に得意そうに語った事が思い出され、恥ずかしくて穴があったら入りたい気持ちだった。

今月から数回に渡ってピッツァについてのお話をしましょう。あの時の私のような恥ずかしい思いをしないためにも...。 日本でもイタリアでもピッツァを食べる時、また違った見方が出来るようになるかもしれませんよ!

今回は、結構日本で知られていない、歴史が語るピッツァとナポリの関係のお話しです。

ナポリは1502年から約2世紀スペインの、その後、イタリア統一の1861年まで150年間フランス系のブルボン王朝の支配下にありました。支配者達は、怠け者のナポリの人達を支配するのにかなり苦労したそうです。なにせ彼らは「その日に食べる物さえあれば、あとは遊んでいた方が良い!」という考えだったのです。

ナポリ湾とヴェスビオ火山

どの時代も不変だったナポリ湾の美しい風景、そこから壮大なヴェスビオ火山を眺めれば、そんな気持ちになるのも分かる気がします。「ナポリを見て死ね!」とは良く言ったものです。そこで執政者達はナポリ統治方法に「3F政策」を取ったと言われています。3つのFとは小麦粉(Farina),祭(Festa),絞首刑台(Forca)の頭文字です。民衆に適当な小麦粉を与えて餓えを凌がせ、たまに祭りをさせて適当に喜ばせ、必要なら絞首刑台に送って権力者の恐ろしさを示す。というものだったのです。

この「3F政策」はナポリの民衆の心理を良くつかんだ政治政策でした。 ピッツァはこの「3F政策」から生まれた食べ物です。それは、もちろん今の様にバリエーションはなく、小麦粉を練って上にトマトを載せてオリーブオイルをかけて焼いたものでした。ちなみにトマトを上に乗せて焼いたものは、トマトが南米のペルーからもたらされた16世紀末以降、17世紀位からと考えられるので、その前はよりシンプルだったわけです。 しかし、これさえ食べていればナポリの人達は満腹感と栄養が保証されていました。

500年前から下町 スパッカナポリあたりを、陽気なナポリ人達がピッツァ片手に行き交っていたのでしょうか? 「無秩序が秩序になっていた街ナポリ!」それを支配者達は何度嘆いたことでしょう!その街を統治できた3要素のひとつがピッツァの始まりなんて、何とも興味深い話だと思いませんか?

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